夢が、かなう手帳。byGMO 誕生秘話

1983年 (20歳)
手帳との出会い苦悩の時期

江戸川同潤会アパート
夢のリストを最初に作ったのは、20歳の頃でした。当時、父が叔母から借り上げていたアパートを、父の会社の社宅として住まわせてもらってました。そのアパートは、「同潤会江戸川アパート」と言います。同潤会とは関東大震災後の住宅供給のために発足した組織で、一番有名なのは表参道にあったアパートですが、江戸川アパートは昭和9年に建てた同潤会の最後のアパートでした。この江戸川アパートは、数年前に取り壊されました。その理由は、地盤沈下による建物の傾斜です。南北15mのスパンで60cm傾いていたのです。中に入ると明らかに傾きが実感でき、平衡感覚が狂います。

当時の夢リスト
電気容量は15Aで、ドライヤーとレンジを使うとヒューズがよく飛びました。昔のS字型ヒューズで、屋上にヒューズBOXがあり、鍵がかかってました。ヒューズが飛ぶと管理人が来る翌朝までロウソクで生活したのを覚えています。
「平衡な家に住みたい!」という人間の本質的な欲求が夢のリストのきっかけです。傾いた家に住んでいたので、そこから抜け出したいという強烈な欲求がこのリストを作らせました。
1984年 (21歳)
運命を変えた習慣夢をかなえるためには?

実際の行動チェックリストの写真
夢のリストを作成しましたが、夢は願うだけではかないません。夢を現実にするためには、具体的な行動が必要だと考えました。そこで、その行動を「継続」するのに必要になのが、「行動チェックリスト」です。当時、僕は自分の性格が嫌でたまりませんでした。そこで、心・精神面の目標として、「全ての人に開いた心を持つ」と決めました。その目標を達成するために「性格改造・全人チェックリスト」を作成しました。当時、月曜・水曜・金曜と週三回手帳を眺めながら行動のチェックをしました。
「35歳までに自分の会社を設立し、上場させる」という夢を手帳に書いたのも、この頃です。
この夢を聞いた周囲の人たちは、その時の私の姿とあまりに現実離れしたこの夢とのギャップに驚き、笑いました。そんなことは、とうてい出来っこない、と。
しかし僕は、毎週手帳を読み返し、繰り返し、繰り返し頭に入れてました。このような行動が、僕の習慣になり、その習慣が僕の人格になり、この人格が今の僕の運命を創ったんだと思います。
1999年 (35歳)
会社上場ついに手帳に書いた夢がかなう

店頭公開の記念撮影
インターネット事業開始後、3年8ヶ月 で独立系ネットベンチャーとして、またインターネットサービスプロバイダ(ISP)としても日本で初めて店頭公開をしました。
当時は「創業してから10年以内に、株式を上場できる確率は、1000万分の17(野村総研調べ)」だったそうです。どうして、100万社に1.7社の狭き門を僕がくぐれたのでしょうか?理由は以下のとおり3つあると思っています。
- 「書いたことは必ずやり通すという」という強い意志があったこと
- それを周りの方に言い続け、協力して頂いたこと
- 小さな夢の実現を積み重ね、「熊谷は言ったことは実現する」と周りの方に信じていただくこと
そして、それを実現するための心強いパートナーが、他でもない手帳なのです。
みなさんの夢の実現を願って
手帳で夢をかなえた体験を記した
書籍「一冊の手帳で夢は必ずかなう」は
24万部(シリーズ累計 2021年3月現在)を超えるベストセラーとなり、
究極の成功手帳は多くのみなさんのリクエストを受け
「夢が、かなう手帳。byGMO」として商品化をしました。
これからも手帳で夢をかなえる仲間が
たくさん増えることを願っております。